寄稿
「竹田人形を支える会」から「竹の子会」へ
飯田市の誘いにより、平成2年(1990)竹田人形座主宰の竹田扇之助は竹田練場を建て、平成11年(1999)4月オープンした竹田扇之助記念国際糸操り人形館の館長として、竹田人形座の糸操り人形などの展示紹介に至った。平成10年(1998)8月の仮オープンの間に、地元座光寺地区の人から「人形館のことを知って、地元で応援しよう」との声を聞いた。それが「竹田人形を支える会」発足のきっかけである。平成11年(1999年)4月、
の人形館正式開館に先駆けて、3月下旬、座光寺地区の今村善興氏、上沼郁夫氏、座光寺公民館から清水主事、そして私の4人で、竹田練場に竹田扇之助館長を訪ね、其々の思いを語り、「何ができるか」を話合った。(写真1・竹田練場で話し合う)
「竹田扇之助記念国際糸操り人形館」を広く知ってもらうためには「地元の理解の広がりが必要」と上沼郁夫氏が会長となり会長命名による「竹田人形を支える会」が発足し、扇之助館長を説得し「糸操り人形講座」をスタートするにいたった。竹田人形は武者人形などの飾り人形として存在しており、混同される懸念もあったが、名称が長くなりすぎるとの意見から、会の名称はそれに落ち着いた。
「糸操り人形講座」の初回は、平成11年(1999)6月11日(金)18時30分から開講式、講座を19時から2時間であった。12日(土)も19時から講座で、以後1ヶ月に2回、一人一体の糸操り人形の制作を進めた。(写真2・開講式の様子 写真3・講座の様子)
講師には、竹田扇之助館長の計らいで「喜の会・糸操り」代表の鈴木友子さん、マリオネットグループ「マスク」の森川永枝さんの二人が加わった。(写真3)
平成12年(2000)8月には、いいだ人形劇フェスタ2000の地区公演に参加し、地元「麻績の館」で「マスク」のマリオネット公演、受講生が一体ずつ手がけた「侍」の完成間もない糸操り人形を披露した。
その時、上沼会長は「竹田扇之助国際糸操り人形館」が座光寺地区に建設されて、地域住民も``人形劇のまち飯田``の一市民として、この人形館を拠点とした文化を創造しようと〈竹田人形を支える会〉が発足しました。
「竹田扇之助と竹田糸操り人形」を支援し、糸操り人形を地域の活性化につなげようと活動していますが、更に多くの市民や座光寺地区住民に竹田糸操り人形の素晴らしさを知っていただこうとフェスタにあわせて企画しました」とした。
平成13年(2001)学校完全週5日制を見込んで休日の昼間に講座を移動(土曜の夜と日曜の午前)小学生が受講し易い設定にした。この年は、私と会長を除く6人の受講生が「お小僧さん」の人形制作に着手し、小学生を対象とした見学会などを開き小学生の受講生を募った。その後は、指導に鈴木友子さんが専任となった。(写真4・子どもたちと鈴木友子さん)
それから2年程して、地元の活性化に向けた「麻績の里振興委員会」が「竹田人形を支える会」を組み込むことに同意ができた」との上沼会長からの話を受けて私は、「座光寺の地元の皆さんが、人形館の存在を受け入れてもらえるのが一番良いことなので、地元の意向に期待する」こととして、上沼会長の判断に任せ、運営から身を引いた。
「竹田人形を支える会」での受講生を中心にした現在に続く「竹の子会」の活動が中心となったのは、「お小僧さん」が完成し、オリジナル作品の上演をめざす機運を高めるためでもあった。
平成20年(2008)、竹田扇之助師匠への弟子入りを望んだ現「竹田扇壽」は、師匠の指導を仰ぎながら、1年半「竹の子会」に在籍し、鈴木友子さんから胡粉塗りなどの人形制作の詳細を学んだ。かつて、師匠が新聞取材のインタビューで語った「自分の生涯の仕上げとして持っている物はすべて譲りたい」の思いを受けて、平成22年(2010)11月、竹田を名のることを許された、竹田扇壽が誕生した。
(文責・記 唐木孝治)